日本の昔話について考えてみる

日本の昔話について考えてみる


「むか桃太郎しむかし、あるところに」が枕詞である日本の昔話、私は自分の父親や母親から直接昔話をきかせてもらったという記憶はない。恐らく、保育園や幼稚園の頃に保母さんや先生の読み聞かせで聞いたものを覚えているのだろう。自分が「人」の親になり、息子が寝付くまでの間、昔話でもしてやろうかと思う今日この頃。

昔話といえば大体が神話や伝説がベースとなっており、そのストーリーの中に勧善懲悪もしくは因果応報、人生や世間に対する何かしらの教訓や慣用句、地名の由来が込められている、というのはよく聞く話。しかしながら、この歳になって改めて昔話を読むと、気になる点が多々存在する。

 

桃太郎、言わずもがな、恐らく日本で一番有名な昔話であろうこの話は、子どもの居ない老夫婦が大きな桃を拾い、その桃から生まれた子が成長し、犬、猿、キジを従えて鬼を退治しにいくという話。この物語の中で、鬼は村から様々な財宝やご馳走を強奪していたという設定。たしかに悪い奴らだ。この物語の終盤、きびだんごに釣られた犬、猿、キジと共に桃太郎は鬼をフルボッコにした挙句、財宝やご馳走を鬼から奪還するのである。ここまでは勧善懲悪。しかしこの物語の締めは、鬼から奪還した財宝のお陰で桃太郎、おじいさん、おばあさんの三人は幸せに暮らした、と結ばれるのである。この結びの部分、桃太郎一家が村の財宝を独占することに違和感を覚える。きびだんごのみで鬼退治に加勢した犬、猿、キジも浮かばれない。村人から財宝などを強奪した鬼はたしかに悪いが、それを奪還し独占する桃太郎一家に首をかしげざるを得ない話である。

かぐや姫、おじいさんとおばあさんが手塩に掛けて育てた娘は、実は月の住人だったというファンタジックな昔話である。美しく育った娘の噂は、やがて帝の耳に入り后に迎えたいとの申し出を受けたが、月に帰らなければならない故、その話を断り月へ帰るという物語。月に帰らなければいけないかぐや姫、育て上げた娘が宮家に入るとぬか喜びしてしまったおじいさんとおばあさん、結婚を断られた帝、誰一人として幸せになっていないのである。この物語の登場人物のだれが悪いわけでもないが、バッドエンドも甚だしい。この物語の結びは「月の使いの者」がかぐや姫を迎えに来るのだが、月と地球を行き来できるほどの文明や技術力を持ちあわせているのならば、わざわざ竹の中に子どもを仕込ませて地球人に育てさせるなんてことをせず、最初からこの者たちが育てればよかったのではないかと思うわけで、結果、この話は地球人に対する月面人の単なる嫌がらせの話として捉えてしまう。

浦島太郎、この話もひどいと思うのは私だけだろうか。いじめられている亀を助けてやったら、お礼と称して竜宮城へご招待され、乙姫様に案内された大広間で飲めや歌えの宴の毎日を過ごし、「絶対に開けてはダメ」と言う玉手箱をもらい浜辺に帰って来てみたら実は名百年も経っていて、しょうがないから玉手箱を開けてみたら一気に老け込んだという話。浦島太郎は何の落ち度もないのは愚か、弱いものを助けたにもかかわらず、体感時間の何百倍もの時間を奪われるというひどい仕打ちを受けるのである。「飲み放題3,000円ポッキリです。」なんて言われて気分良く呑んでたら、法外な請求書をつきつけられるボッタクリバーのようで、本当に後味が悪い話である。

 

私自身の頭が悪いのか、はたまた根性がねじ曲がっているからなのか、日本の昔話は何を伝えたいのかわからない次第である。
息子にはアンパンマンの絵本でも読み聞かせることにしようと思う。

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